2005年07月31日

西遊記を見よう♪

西遊記…これはぁ〜、昭和40年代かぁ〜



だぁが、書きたいから書くっ(笑)。



s13.jpg



オイラにとってこの番組は定番だったし、夢中だったんだ。

コレまでオイラの中での西遊記は、手塚治虫の”悟空の大冒険”だったよ。


コレほどまでに、リアルに作成した映像を見たことが無かったもんな。


夏目雅子の三蔵法師には一目ぼれだったし、

堺正章の悟空は正に適任っ。




つまり、何てったって夏目雅子でしょう。




夏目雅子に”悟空ぅ…、助けておあげなさい。”と言うのを聞くと、

こっちが助けたくなるくらい好きだったもん(恋)。


夏目雅子が目を閉じてブツブツ言うと、悟空の頭が閉まるんだけどサァ、

あの仕草もグラグラだね。(グラグラするほど良いの意)


堺正章の悟空は、キント雲を呼ぶ時のポーズが中々はまっててさ。


人差し指と中指を唇に当てて

”ピュ〜シュルルルルル、フン!”


ってやるんだけど、クラスで真似する奴とかいてさ。


西田敏行の八戒岸部シローのサゴジョウ

(どんな字だっけ?)も適役、はまり役だったな。


オヒョイさんも、馬の役で出てたぞ。



オープニングとエンドタイトルのゴダイゴの歌も、

何かミョ〜にはまってんだよな。

と、言うより結構ファンになっちゃってね。


惰性で”銀河鉄道999”見に行っちゃったよ!


そう言えば、渋谷の”東急文化会館”で買った”銀河鉄道999”の

無期限定期券…何処行っちゃったっけかなぁ。


いづれにしても、西遊記で夏目雅子ファンが、グッと増えたと思うぞ。

だって、オイラがそうなんだから!!


このブログ、昭和40年代の自分の記憶を懐かしむはずが、

夏目雅子の絶賛ブログと化したことを嬉しく思います。




以上!報告終わりっ!!面目ないっ!!!





ゴンド〜ァラ♪

ゴンド〜ァラ♪

ぅ愛のぅクニィ〜♪

ゴンド〜ァオラァ〜♪



posted by ハナユビ at 00:00| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | TV…ドラマの思ひ出昭和篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月30日

黒電話よ永久に…


オイラはサザエさんを見るたびに思うんだ。

あの、昭和の中盤まで席巻した、黒い電話器ってまだあるのかなぁ…と。


d1.jpg



エラク重たくて、ジーコジーコとダイヤルを回して電話をかけるアレさ。


オイラが電話に出られる年頃には、かなり普及していたけどね。

その、5年〜10年も前だと全然だったらしい。


電電公社の取付工事のおっさんが、エラク横柄だって聞いたことがあるな。

そんのくらい、当時は一般家庭に急速に普及して行ったらしいんだ。

だから、電電公社の取付工事のおっさん、忙しくて不機嫌だったんだろうな!


オイラのお袋の兄貴(つまり、おじさん)が電電公社にいてさ、

結構楽に設置できたらしいな。


オイラのウチはアパートの大家だったから、黒電話に変換機が付いてるんだ。


今は転送が楽勝で出来るけど、当時の変換機はツマミをカチリと倒すと、

違う場所の電話に転送できる仕組みになってる。


でも、内線かけられるわけじゃないから不便だったけどね。

あの黒電話は、ガキが利用するに、はひどく重たくてしっかりしてたんだ。

(受話器を落とすとまるで、鉄アレイのような打撃音!!)


自宅の設置品の中でも、結構大切なものの部類に入ってたな。

よく考えてみれば、電話番号つき黒電話の売買がやられてた訳だから、

当時としては高級品ってことか。



大体、設置場所は居間か、玄関でしょ。(今も同じか??)

子機付きのデジタルホンは、その後ズゥ〜ット先の登場だったからサァ、

彼女や彼氏と話すのに家の電話が使えなくてね。





わざわざ、公衆電話に行っていた輩を知ってるぞ(面倒)。






たっくさん10円玉持ってね(笑)!

(これはオイラの10歳年上の従姉とは言わないけど・・・。)



友達と話すんでもさ、内緒にしたいことなんかを話す時、非常に困ったもんだ。

だもんだから、内緒の会議には暗号を使うんだな。

こんなところでも頭を使ってた当時、今と比べりゃ確かに不便だった。



でも、今振り返ると、不便を体験しなきゃ駄目だな!

まぁ、オイラの年代ですら、親から見れば贅沢って言われるわけだから…



……しょうがねっか!!




あの頃、携帯電話がこんなに普及することを誰が予想したか!

posted by ハナユビ at 00:00| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 物…昭和に溢れた・モノ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月29日

電子玩具来襲!

オイラがガキの頃にやった屋内ゲームといえば、ボードゲームばっかりだったな。



人生ゲーム、ダイヤモンドゲーム、モノポリー、双六等等等等…。




そんな最中、オイラの家に来襲した一番最初のエレクトロニクス玩具!

名づけて、”光線銃カスタム”ってのがあったんだ。



k1.bmp



当時で\7,000〜\8,000したと思うから、かなり高価だぞ。

この値段付けちゃう任天堂…かなり恐るべし!


仕組みは、リボルバー銃の引き金を引くと、

銃身からレンズを通して光が出るんだ。


標的にはガンマンの姿をしたレシーバーになっててさ、

ガンマンの胸のところにまた、レンズがあんのよ。



上手に撃って、胸に光が当たるとガンマンが打っ倒れるって言うゲーム玩具。



今にして思えばチャチなエレクトロニクス玩具なんだけどさ。

当時のインパクトは、そんなモンじゃないわけさ。





激凄!!






これを手に入れてからっていうもの、毎日毎日オイラんちは、千客万来攻撃でさ。


友達がその友達まで連れてきちゃうもんだから、

オイラんちはガキ共の巣窟になっちゃった。


やがて、横丁の大人たちまで参加し始めちゃって、

昼は子供、夜は大人みたいになってワイワイガヤガヤ遊んだなぁ。


オイラは持ち主だから凄く上手だったんだけど、

極めちゃうと面白くないじゃない。



だから、近所のガキ共が来ても、マンガばっかり読んでた記憶があるぞ。



この光線銃は部屋を暗くして撃つと光が閃光になって、

何処に当たってるかわかるようになるんだ。


そのお陰で近所のガキが、遊んでる奴が居ない時を見計らって、

うちに来て練習する奴まで出てきてさ。


ちょっとした、ブームだったよ…と言うより大きなブームだったな。





一ヶ月くらい続いたかなぁ?






昭和40年代…まだまだ面白いモンに飢えている、高度成長時代でさ!!

オイラは確かに、その真っ只中にいたのが、結構うれしかったりするんだ。
 
posted by ハナユビ at 00:00| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 物…玩具の思ひ出昭和篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月28日

祝!投稿100回記念っ!

こんにちは〜!



ついに、このブログ…100記事投稿をむかえましたぁ。


キリ番祝いの投稿で〜す。



思えば5月の連休に空いた時間に

”ちっとやってみっか!長くもってみっか?”


なんて思いながら、ココまで来ちゃいましたのが凄い快挙ですわ。


これも、一重に読んでいただいた方々が、

残していくコメントに触発されていることは厳然たる事実でございます。


utazouさん、uirouさん、ママりんさん、いとちゃんさん、RTV局長さん、

明るい空さん、ももんが♀さん、ももんが♂さん、

コメントをありがとうございます。


また、コメントを残さずとも、見ていただいている方々にも、

誠にありがとうございます。


やれやれ、100回まで漕ぎ付けて、も〜ぅ思い残すことはありません。



今回をもって、このブログを閉じさせていただきます。



これからは、普通のサラリーマンとして余生を送っていきたいと思っています。


影ながら皆様のご健康をお祈り申し上げます。



尚、今後も皆々様のブログにはお邪魔させていただき、

コメントは続けさせていただきます。


宜しゅうに・・・。













































































なぁ〜んちゃって!!


チョット言ってみたかったので、言ってみただけでした。
※エイプリルフールは過ぎちゃいましたけどね!

現在、記憶の扉をこじ開けるのがカナリ困難な状況ではありますが、

ノンビリ更新を続けていきますのでよろしくお願いします。

※本当に、オイラの脳味噌って、こんだけしか情報を溜めて置けないの?

 くらい、情報が急速に死滅しております(笑)。

 更新をバックレル恐れがありますのでご注意の程!!


尚、100回記念と言うことで、私のうなじ本邦初公開です。

j1.bmp


←※次回からプロフィールにヘバリつける予定です。


posted by ハナユビ at 00:00| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 近況…日記(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月27日

落書きの醍醐味

オイラがガキの頃、一人遊びの一つに道路での落書きってのがあったんだ。



普通はやるよな。




これ、多分さ傍から見てると”一人で可哀想”とかぁ、

”友達いないんだ”なんて同情買っちゃうかもしれない。




しかし、本人はそんな気持ちは微塵のカケラもなくて、結構真剣勝負なんだ。




ウチは私道だったんだけど、そこに書くと目立たないからね。

当然ターゲットはメインストリート。


路行く人みんなに見てもらうのが、落書きの醍醐味っ!


書く内容はその都度違うけど、基本的には電車は書く。

何でって、線路を書き始めると、何処までも書き続けることができるからね。


この遊びのための必須アイテムが”ロウ石”でさ。

そうだな、人差し指大くらいなのが20円くらいで、

駄菓子屋行けば売ってたんだ。




チョークじゃダメなんだ。

すぐ落ちちゃうんだよ。

石もダメ!


地面に書くと言うより傷つけてるわけだから、上手に書けないんだ。




そこへ行くと、ロウ石はサァ、

滑りはいいし、

長持ちするし、

チョークより減りは遅いし、

抜群のアイテムさ。div>



昭和40年代は”交通戦争”なんて言われてたけどね。

ウチの周りは車少なかったから、道路で遊んでても、注意されなかったな。


むしろ時々、大人も参加してさ、

”こここうした方がいいんじゃない?”

とか”あぁ〜、ちょっと貸してみ。”

なんていって、大人が夢中になっちゃったりね。



今は、車の往来があるから危険だしさ、こんな光景メッキリ減っちゃたな。

ガキどもがチト気の毒だよな。


ロウ石も見ないしね。



売ってンのかなぁ…、駄菓子屋も見なくなったもんなぁ…。

道路に落書きしてるガキ見つけたら、迷わず参加するね、絶対だよ!
posted by ハナユビ at 00:00| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 場所…遊びの思ひ出昭和篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月26日

入道雲は何処…



夏真っ盛りだな。



夏といえばオイラ、気になってることがあるんだ。

オイラは今、横浜に住んでるけど、都心部で”入道雲”を見なくなったなぁと…。

オイラがガキの頃は、凄く立体的でピーカンに白い”入道雲”を良く見たんだ。



バックの空の色が、混じりっ気なしのでさ。




そのコントラストの美しさと、手を延ばせば届きそうな立体感が大好きだった。

オイラだけかなぁ、見なくなったって感じるの?


もう一つは逃げ道ナシの”夕立ち”に遭遇しないんだ。


ピーカンに晴れた日に、スーっと暗くなってきてサァ、

降る直前は”日食でも起きたか?”と言うくらい真っ暗になる。

その内、スゲェ大粒の雨がバラバラバラ〜ッ!っと降りやがるんだ。


昭和40年当時は”トタン屋根の家”が多く残ってたからね。

雨がトタンをブン殴る音が響いてさ。


ましてや、スーパーとかマックとか、気の利いたもんなん無いからじゃん。






雨宿りは人ン家の軒先でさ。






みんな同じところで雨宿りするもんだから、そこで井戸端会議が始まるんだ。

30分もすれば止んじゃうの分かってるからね。


井戸端会議の内容はもっぱら、今の雨の話だから、子供でも充分参加できてさ。


”あら、あんた達そんなに濡れたたら風邪ひくよ、すぐ着替えな。”

”おあばさん、買い物重そうだね。少し持ってやるよ。”



なんて、他愛も無い会話でサ。


でも、夕立ちが演出する他人との会話がまた一興。

なんか、傘を忘れて雨に濡れるたびに思い出す、オイラなりの夏の風物詩さ。


※絶対に減ってると思うんだよ、入道雲と夕立ち…。



posted by ハナユビ at 00:00| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 場所…ご近所さんと昭和篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月25日

光化学スモッグ発令!

オイラがガキの頃、校庭で遊んでるとさぁ、

光化学スモッグ


ってのが発生すると、教室に入らされちゃうんだ。たらーっ(汗)




今も、こんなのあるのかな?






光化学スモッグなんて、オイラはどうでもよくてサァ。

遊びを中断させられるたびに、

”あったまにくるスモッグだ!!”


と思ったもんだ!


ちなみに光化学スモッグってのは何かって言うとさ、

自動車や工場・事業場などから出る排気ガスが太陽光を浴びて、

汚染物質を作っちゃうんだと。


小難しいことはわかんないけど、こんな日に出やすいんだとさ。

 @ 最高気温が25℃以上になっちゃう。
 A 9〜15時の間の日照時間が2.5時間以上ある。
 B 東京湾とか相模湾からの海風が吹いてくる。
 C 地上0〜1000m気温差が7℃以下だと。
 D 風向きも関係するらしいぞ。
 E 気圧配置も重要!!

早い話が、暑くてカンカン照りで緩い海風の時に出やすいって事さ。
※ホンとかぁ??


いきなり、校内放送がなってさ、

”こぉ科学スモッグゥ〜発令ぃ〜”


”校庭にいる児童〜速やかに教室にぃ、戻りなさい!”


って命令されんだよ。むかっ(怒り)



体育の授業だろうと、遊んでようとお構いなしさ!


ガキの頃は、光化学スモッグを発令している奴が悪いと思ってたから、

見つけたら文句言ってやろうと思ってたな。


そういえばこの頃だよ。

大気汚染とか、東京湾のヘドロが問題になって、

”ゴジラ対ヘドラ”


も公開されたのは!


g3.jpg



空飛ぶヘドロ…ヘドラ。


なかなか、面白かったぞ。



ちなみに、ゴジラが放射能を吐きながら、空を飛んだのも初めてだし、

”シェ−”のポーズを初めてとったのもこの作品じゃなかったっけ。


”東宝映画祭り””東映マンガ祭り”どっちを見に行くか悩んだな。

夏休みの宿題の絵日記に書く話題のひとつさ。
posted by ハナユビ at 00:00| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 風景…昭和の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月24日

昭和の買い食い事情

オイラがガキの頃は、買い食いも自分でコーディネートできたんだぜ。

今の買い食いはさぁ、出来あいの物を買うでしょ。


例えば、ポケモングミとか、トーマスラムネとかさ。


オイラの時は、まずパン屋に行くのね。


”おばちゃ〜ん、コッペパン1個ちょ〜だい。”

”ハイヨォ、60円なぁ。”

”いつものヤツお願いねぇ!”

”ハイヨォ、5円なぁ。”



いつものヤツっていうと、オバチャンがコッペパンにナイフを入れてサァ、

下にマーガリン、上の面にイチゴジャムを塗ってくれんだ。


65円でジャムコッペパンを買ってぇ、パン屋をでたらぁ、今度は肉屋ね。


”おいちゃ〜ん、このパンにハム1枚はさんでぇ〜。”

”オウヨォ、1枚10円な。”

”マカロニサラダもね!”

”オウヨォ、10円追加なぁ。”


ついに、パン屋と肉屋をはしごしてぇ…、



85円ポッキリでぇ…




ハムサラダサンド(コッペパンバージョン)を手に入れたわけだぁ。


ちなみに、コレを乾物屋に持っていくと、デンブを挟んだり…、

新宿御苑前の駅のところの、立ち食い蕎麦屋で焼きそば挟んでもらったり…、

駄菓子屋に行って梅ジャム挟んだりね…。


楽しいんだ、お店のオバチャンと話して、その日のメニューを決めるのさ。

金がない時は、バターをオマケしてもらって、素コッペパンで我慢したりね。


結構、頭使ったり、


足を使ったり、


オバチャンに交渉(つまりお願い)したりしてさぁ。



とにかく、街では大人と話をすることが多かったなぁ。


”あら、今日は一人なのぉ?”

”うん、みんな風邪ひいちゃってさぁ、つまんないんだぁ。”

”そうかい、じゃぁ今日はオバチャンのおごりだ。”
”ピーナッツジャムとチョコジャムぬってやるよ。”



なんて、会話をするんだ。



これじゃぁ、グレようったってグレルことできないよ。

街中、恩人だらけだもん。


posted by ハナユビ at 00:00| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 食…食モノ思ひ出昭和編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月23日

昭和ラーメン屋の考察

オイラがガキの頃のラーメン屋ってのはサァ、

今のラーメン屋と比べて金太郎飴だったな。




何処に行っても同じだったってことさ(笑)。





まず、値段がほぼ同じ。

 素ラーメンは\200台後半〜\350くらいまでだったぞ。


次に、味が同じ。

 豚骨や味噌なんて、気の利いたモンはなくて、醤油か塩だったな。

 とにかく、塩っ辛くてさ!

 具だって、ナルト、チャーシュー、シナチク、ネギ・・・代わり映えなし。


次に店構えが同じ。

狭いサッシのドアが年中開けっ放しでさ、

丸パイプ椅子にカウンター8人、

BOX3〜4つが関の山。

客が入ってンのは夜でサ。

殆ど、配達で商売してるから、店ん中がキタネェんだ(笑)。


最後、メニューが同じ。

タンメン、ワンタンメン、炒飯、ギョーザ・・・くらいか?回転がいいのは。

オイラがガキん時、近所に生駒軒てラーメン屋があってさ。


年がら年中、一人で行ってたな。



ウチのお袋は、小学校の5年生頃は偏頭痛に悩まされててさ。


学校から帰って、頭がイテェと外食代くれてさ。

”そこらで食べといで!”

と、ホッポリ出されたもんだ。


お陰で、生駒軒ばっかり行くもんだから、常連になっちゃってさ。

オイラが食いに行くってことは、お袋が具合悪ぃってことだからさぁ、

餃子ライスとか差し入れ持ってきてくれたりしてさ。


そんな、思い出があるもんだから、ラーメンはやっぱり東京ラーメン。

ラーメン代で\700も\800もするって言うのは、どうも本位じゃないし、

ましてや行列に参加してまで食べるって、心意気が芽生えないんだよね。


ラーメンはラーメンであるが故に、心意気ってもんを大事にして欲しいなぁ。

安い・美味い・早い・ボリュームたっぷり・不健康・店が汚い・人情派!





笑!!






新横浜のラーメン博物館…、流行ってるように見えないんだけどなぁ…。
posted by ハナユビ at 00:00| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 食…食モノ思ひ出昭和編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月22日

根気は得気

この前、久し振りにオイラが、娘にベーコンエッグを作ってやったんだ。

ハナユビ姫(4歳)が、

”卵、割らして〜、お願いぃ〜!!”

と言うのを制止し、事なきを得たんだけど、はてさて……、

オイラは一体、いくつの時に割れるようになったんだっけ?


記憶を反芻してみると、確か小学校2年生だった気がするね。

オイラんちは何故か納豆に卵、もしくは大根卸しを入れるのが慣わし!!

で、その時にお袋が卵を割っているのが、なんかむしょうにぃぃ、

面白そうに見えたのがきっかけさっ。


やらせて貰うんだけど、何度やってもダメ。

ダメ!ダメ!ダメ!ダメ!ダメ!ダメ!ダメ!






今にして思えば理由は簡単。






殻を割ったところに親指を当てるんだけどぉ……・・・、

その親指がぁ………、

上を向いているからぁ・・……・、

下に落ちずに、上にぶちまけるんだっ。





あたりまえだろっ!






1週間ぐらい練習してもダメで、お袋も親父もサイを投げてさ。

ジイちゃんだけが、教官として残ってくれたんだ。


ある日、午前中に”遠山の金さん”(再放送)を見ながら、

朝飯の用意をしている時、何も考えずにやったのがタマタマ上手くいったんだ。


そう言えば、ベーゴマの時もそうだったんだ。


全然上手くできなくって、一日中一人で猛特訓!



夕方になっちゃって、手元も怪しくなってきた時に、

ヒョイッとやったら上手くいったんだ。


ガキってのは、やるチャンスの量が重要だしサァ、

自分としても、できるまでやるかが鍵だな。


昔は、学ばなければいけないことが、多かったもんね。


例えばぁ…………、

”缶きり”とかぁ………、

”鉛筆削り”とかぁ………、

”リンゴの皮剥き”とかぁ………、

”靴洗い”とかさ。



今は、ますます便利になってさ。

中々、チャンスが少なくなっているように思うけど、

はたして良しなのか悪しなのか?

posted by ハナユビ at 00:00| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 家族…ガキの頃のオイラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月21日

仮面の忍者 赤影を見よう♪

オイラが小学校2〜3年くらいの頃、忍者がブームになったことがあったんだ。

その時の草分けが”仮面の忍者 赤影”なのね。



a1.jpg



当時としては、凄く綺麗な映像が印象的で、大好きなTV番組だったんだ。

とにかく、赤影、青影、白影がそれぞれの色のスカーフをしていてさ、


カラーTVによく映えるんだ、これが。

何せ、まだモノクロTVが一般家庭には、いっぱいあったからね♪




それぞれ決めの言葉を持っててさ。

赤影は青影のピンチに登場する時、”赤影…参上!”と腕を組むんだ。


青影は任務を頼まれると”ガッテン、ガッテン、承ぉ〜知っ!”って、

首を左右に大袈裟にに振るし、”ダイジョ〜ブっ!”なんて言って、

鼻に親指を当てて開くんだ。


白影は必ず大凧にのって、手を振りながら”赤影どのぉ〜!”と言って、

参上するとかね。


たしか、4つの章立てになってたのも小粋だったけど、

特に”卍党編”はやたら怪物や超能力をもった忍者が登場して、

ハラハラさせられたもんだ。



でも、他の3つの章は忘れた(笑)。




オイラ達は、赤影のスタイルに感化され、ビニールでできたソフト刀をサァ、

背中にくくり付けて、忍者ゴッコを楽しんだもんだった。






手裏剣も忘れるなっ!






これポケットに入れたまましゃがむと、手裏剣が太ももに刺さってサァ、

痛い思いをするぞっ。


忍者ゴッコといっても、ヤッ!トウ!と刀で切りつけると言うよりも、

人ン家の塀つたいにコソコソと歩き、新しい道(人ン家だろう)を

発見する遊びだったな。


時々、窓がガラッと開いて、

”ここは通り道じゃないよ!!”

と怒られたもんだな。



でも、ガキにとっちゃ、知ったこっちゃなかったんだ。

だって、オイラ達は密命を持った忍者なんだから、

そんじょそこいらの一般人の言うことなんて聞いちゃいられないよ。


一回、お巡りさんに見つかって、家まで連行された時には、

忍者からガキに早変わり。


お巡りさんに怒られて、お袋にも怒られて、お仕置き食らって…、

とても忍者とは思えないだらしなさ。


でも、また刀を背中にくくり付け、忍びが通る新しい道を探すんだ。

そう、反省しないで悪戯を繰り返すことこそ、ガキの特権だ。

posted by ハナユビ at 00:00| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | TV…特撮ヒーロー昭和篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月20日

ブームの不思議

オイラのガキの頃、スポーツ観戦といえばぁ、

野球と相撲って相場が決まっていたな。


そりゃそうだよなぁ、ON(オーエヌ)全盛だもんなぁ。

大鵬だって現役だしぃ……、

黄金の左腕の輪島……、

いぶし銀の北の湖……、

ギャンブル小僧の若三杉……、

土俵際の魔術師貴乃花




巨人・大鵬・卵焼きとは、よく言ったもんだ。




オイラんちは、野球のペースは好きになれなかったんで、

もっぱら相撲、キックボクシング、プロレスを観戦してたな。


しか〜し、何故か突風のように、次世代人気スポーツが出現したんだ。

オイラ小学校の3〜4年ぐらいだったと思うけどね。


1つ目はローラーゲーム。

 東京12チャンネルで放映されていて、小学生のハートをえぐった逸品。

 東京ボンバーズのいる日本勢と外人勢のバトルには手に汗握ったもんだ。

 ラリアット有り、ホイップ有り、
 スピード感で言ったら、今でも十分白熱するものだったと思うぞ。

 ところが、ルールを全然知らないんだよね、未だに(笑)。



ブームって怖いよね。





2つ目はアメリカンフットボール。

こいつぁ、長かったし、ブームとしてはデカかったぞ。

シカゴベアーズ、マイアミドロフィンズなんてチームがたくさんあって、

文房具なんかもヘルメットのデザインが、施されたモンだったんだ。


ご多分にもれず、オイラもマイアミドロフィンズファンで、ブックバンド、ペンシルケース、下敷きといった文房具グッズは一通り揃えた。


一番高価だったのはショルダーバッグかな。

この時期から、ランドセル背負ってる奴は見なくなったからな。


ちなみにアメリカンフットボールのルールを全然知らないんだよ、未だに(笑)。




ブームって怖いよね。





2つのブームはあっても、やっぱり野球、相撲の人気は衰えなかったな。


野球とかは、お父さんたちはこれを見るためにサァ、

昼間一生懸命働いてサァ、

残業切り上げて帰ってくるんだからサァ、

そりゃ気合も入るよね。




オイラのダチの親父なんか、8回で巨人が2点差以上で負けてるとサァ、

テレビ切っちゃって、新聞紙をビリビリに破いて、人に八つ当たりをするんだ。

※話を作っていません。実話です(困)。たらーっ(汗)


こんな親父が、日本全国に蔓延してたんだから、日本も一体感あるよね。


今のようにサッカー、ラグビー、ゴルフ……、

選択肢がありすぎると、人は人って感じに見えちゃうよね。


野球嫌いには辛い時代だったと思うけどね。
posted by ハナユビ at 00:00| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 風景…昭和の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月19日

昭和テレビの考察3

【テレビから見た座り位置の巻】

オイラがガキの頃、テレビっちゅうのはある意味、究極の娯楽施設だったな。
※またまた、前回とおんなじこと言ってる。



この、娯楽施設を中心に、家族の座り位置ってのが決まるんだ。



一番の上座は、テレビの正面で一番遠いところ。

二番目の上座は、テレビから見て、玄関から遠い右か左サイド。

三番目の位置は、テレビから見て、玄関に近い右か左サイド。



お客さんが来たら立たなきゃいけないからね。

で…、一番の下座はテレビに一番近いところ。



首をねじって見なきゃいけないし、

近すぎてチカチカするし、

チャンネルを回す時のパシリになるからね。




当然……、




オイラは下座……、

ジイちゃんが上座……、

次上座が親父……、

お袋の配置で、居間は構成されていた。




上座の弱点は、下座の人の頭位置によって、テレビが見えなくなるのよ。

だから、自分で上体を動かして、見なきゃいけなかったんだ。



ジイちゃんは年がら年中、上体をゆすってたなぁ(笑)。




当時、居間からリタイヤするって言うことは、

テレビを見ることを放棄することだったんだ。





重大な決意……。






チャンネル権の強者は、ジイちゃんだったから、絶対リタイヤしない。

親父は酒カッ喰らって気分良くなれば、寝床に行っちゃうからすぐリタイヤ。

お袋は食事の支度とか、洗物だとか、アイロンがけとかで、そこそこリタイヤ。

結局、一番暇人のジイちゃんと、無責任爆裂エイジのオイラの一騎打ちだった。


最後に、チャンネル権を勝ち取るのはオイラだったけどね。



これは、家庭ごとにルールが違ってたようだから、一概には言えないけどね。


昭和40年、不便から便利、より便利の階段を一段づつ上がっていく。

一足飛びに”すごく便利”を体験する今のガキを見て、

少々”羨ましいだろう”と思う今日この頃だな。
 
posted by ハナユビ at 00:00| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 物…昭和に溢れた・モノ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月18日

昭和テレビの考察2

【チャンネルの巻】

オイラがガキの頃、テレビっちゅうのはある意味、究極の娯楽施設だったな。
※前回とおんなじこと言ってる。

その娯楽施設の出来栄えがまだまだな理由として、

チャンネルが原因だったんだ。


当時はどんなに立派なテレビでも、チャンネルはダイヤル式でさ。

ガチャガチャと回して使ってたんだ。


この、ダイヤル式が曲者でさ。


例えば、NHKのニュースを見るじゃん(1チャンネル)。

その後、天才バカボン(4チャンネル)を見るにはぁ…、

3チャンネルを通過しないと駄目なんだ(当たり前だわなぁ…)。


ウチの親父は結構、歴史とか好きだったモンだからさ。

チャンネルを通過する途中で、3チャンネルで面白いモンやってるとする。

すると、チャンネルをそこで止められちゃうんだ。


だから、見たい番組にチャンネルを合わせる時…、

わざわざ12チャンネル側から遠回りして、合わせるとか工夫してたな。





実らぬ苦労…。






お陰でさ、チャンネルの留め部分のプラスチックが折れちゃってね。

ポロッととれちゃうのね(笑)。



そうすっと、ラジオペンチで挟んで回すんだけど、面倒くさいじゃん。

それまでは、番組を見たい人がチャンネルを回す約束だったののにさ。

いつの間にか、ペンチ持つのは子供の役割になっちゃうんだ。





飯の最中とか、面倒なんだよな。






アンテナの設定は職人芸だから、オイラもモチベーションが上がるわけよ。

でも、チャンネル合わせは単なるパシリだもん、奴隷と変わんないよ。


電源スイッチは又別なんだ。

電源のON/OFFだけのために孫の手が用意されててさ。

横着に立たないでON/OFFしてたな。


リモコンなんて夢のまた夢。

ダイヤル式チャンネルから、プッシュ式チャンネルを経てサァ…、

ようやくリモコン登場だからね。


身近なものでチープな便利をムサボル家庭は、

何もオイラのウチだけじゃなかったぞ。


昭和40年、不便から便利、より便利の階段を一段づつ上がっていく。

一足飛びに”すごく便利”を体験する今のガキを見て、

少々”羨ましいだろう”と思う今日この頃だな。
 
posted by ハナユビ at 00:00| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 物…昭和に溢れた・モノ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月17日

昭和テレビの考察1

【室内アンテナの巻】

オイラがガキの頃、テレビっちゅうのはある意味、

究極の娯楽施設だったな。


その娯楽施設の出来栄えがまだまだな理由として、

室内アンテナが原因だったんだ。


当時、うちにはウサギの耳のような形をした、

室内アンテナがあってさ。


映像がビシリと合う位置と角度を見つけんのが、

メチャメチャ難しかったんだ。


一度画像が乱れると大変でさァ……、

左右、前後、上下、回転……、

いろんなトライをして電波を捉えるんだ。






ウチの中じゃ、オイラが一番上手でさ。






ジイちゃんはオイラが学校から帰ってくるまでは、

見たい番組が見れないんだ。


当時は、画像が乱れて言うことを聞かないと、

きれいに映るチャンネルに浮気しちゃうしかないからね。



見たくもないのに見てるわけだから、

視聴率も適当だよな。




おかげで、オイラは不自由なテレビがあるお陰でァ、

テレビがついてる間は我が家の中で一番大事にされたんだ。


だって、キックボクシングとか目が離せない番組の途中、画像が乱れるんだぜ。

ゴーストとか言って映像が、二重にも三重にもなっちゃって見づらかったりね。





そりゃぁ、オイラに拝むだろう。






子供心にさ、これのお陰で家族の役に立ってるって言うの?

役割があるって言うかな?

とにかく責任感みみたいなのあったよね。



絶対に映るようにしてやる!みたいなね。




作業は地味でさ。


まるで、金属探知機で釘を探すようなもんだと思うよ。

やったこと無いからわかんないけど。


すこ〜しずつアンテナをずらしながら、一番映りのいい位置を探す。

こんなの、仕事終わって帰ってきた親父はやんないわなぁ。


家族全員が見守る中…、

”そこそこ、もう少し!!”

”あぁ〜、さっきのが良かったよぉ。”

”もういいよ、そこで!上出来だぁ。”



様々な応援に支援され、アンテナを動かす地味な作業…、

なかなか楽しかったぞ。


昭和40年、不便から便利、より便利の階段を一段づつ上がっていく。


一足飛びに”すごく便利”を体験する今のガキを見て、

少々”羨ましいだろう”と思う今日この頃だな。
posted by ハナユビ at 00:00| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 物…昭和に溢れた・モノ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月16日

クーラー導入の日

オイラのウチにクーラーがやってきたのは確かぁ…、

小学校4年の時だったと思うんだ。


まだ当時はクーラーの普及率が高くなかったんだ。


だもんだから、外に音が響くと近所迷惑ってことで、

一番奥のチッコイ部屋に設置されたんだ。





今みたいに、エアコンじゃないからね。





クーラーってのは冷やすだけ。





付いているのは強、中、弱のつまみだけ。





タイマーもなし。





ど〜だ、シンプルだろう?(質素とも言うけど。)



でも、ウチの横丁では一番の導入だったんだ。

設置した当日なんて大変。

横丁中の人たちが涼みに来ちゃってさぁ。


みんな、手ぶらじゃ来なくてね、なんかお土産を持ってくるんだ。

変なオバサンは、おめかししてきちゃったりしてね(笑)。



チッコイ部屋にギュウギュウに押し込んで、みんなで涼んでんだ。

”あらやだ、本当に涼しいわ!”


とかいっちゃってね。


みんなで持ち寄ったお土産をサカナにサァ、

結局のところ、夜まで居座って帰っていくんだ。


一週間は、そんな有様だったよ。



お土産もカルピスとか持ってきちゃうからサァ、

寒い部屋で冷たい飲み物飲んでる変な光景だったよ。


でも、おかげさまで夏場は、ウチの横丁で一番贅沢なエリアになっちまったよ。


当のオイラんちはって言うとぉ…、

とどのつまり一番チッコイ部屋だったモンだから、

使用頻度が上がらないんだ。


夜寝るときは他の部屋だったから、扇風機はまだまだ活躍してたし。

扇風機に向かって”ヴァ〜ァ〜ァ”とか、暇になるとやっちゃう光景は、

クーラーが入っても変わんなかったな。


昭和・・・、まだまだ贅沢なものが世の中にあふれ、あこがれてた時期だったな。
posted by ハナユビ at 00:00| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 物…昭和に溢れた・モノ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月15日

お袋のお仕置き各種


オイラのお袋の短気ったらなくてさ、年がら年中はたかれてたなぁ。

お袋の怒り心頭度によってお仕置きが違ってくるんだ。

第1次接近遭遇…頭にゲンコツ
  叱るが速いか、頭にゲンコが飛んでくる。
  痛い割にはすぐ怒りが冷める。

第2次接近遭遇…横っ面にピンタ
  ”目をつむれ!歯を食いしばれ!”系のお仕置き。
  間を置くのでチト恐怖を感じる。
  ビンタの後に長めのお小言。

第3次接近遭遇…家の外にほっぽられる
  ”出てけ〜!二度と入ってくんな〜!!”という命令と共に
  外に放り出される。
  最高2時間という記録アリ。
  ※外に出してんの忘れて寝てやがった。

バリエーションはこんなモンだった。

ジイちゃんが生きてた時は、仲裁に入ってくれたんだけどさ。


”おぉい、カアちゃんに謝っちまえ。ジイちゃんも一緒にいってやっから”


なんていわれて、収束するのが日課だったなぁ。

親父が帰ってくるときには、それまで待って親父に仲裁してもらったりね。


ジイちゃん死んじゃってからは、近所のおばさんが仲裁役なんだ。

”もう反省してるから、入れてやって。このまま帰れないわよ”

なんていわれてな。


ガキの頃は、近所のおばさんが神様に見えたもんさ。



でも、家の中に入れてもらっても、メチャメチャ バツが悪いんだ。

何喋っていいかわかんない。



と、思っているとお袋はすっかり、怒ってンノ忘れちゃったりするんだ。

怒ってんのが面倒になるんだな。


今は、変なのにさらわれてさ、殺されちゃったら合わないからね。

外に放り出すなんてやんないんだろうな。


posted by ハナユビ at 00:00| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 家族…困ったお袋のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月14日

何故か替え歌

オイラがガキの頃、かえ歌ってのが流行っね。

震源地は分かんネェんだけど、どこからともなく流行るんだ。



古いんだけどさ。

ブルーコメッツのブルーシャトーでね、

b3.jpg

森トンカツ♪ 泉ニンニク♪ かコンニャク♪ まれテンプラ♪

静かニンニク♪ ねむぅルンペン♪


ン……、ルンペンは食いモンじゃねぇよと、思いましたオホホ。


小柳ルミ子の瀬戸の花嫁でぇ…、

瀬戸ワンタン♪ 日暮れテンドン♪

なんだかなぁ、小柳ルミ子も気の毒に。


太陽にほえろのテーマでぇ…、

タラちゃん〜♪ カツオ〜♪ ワカメ〜♪ 磯野ナ〜ミヘイ♪

何故か波平だけがフルネーム。





超バカバカしい。






こんなバカバカしい歌を登下校の時、デケェ声で歌ってたナァ。

流行っちゃうと飽きちゃうだよな。


とどの詰り、オイラこんなにおもしれぇモン知ってんだって、

自慢できる間だけ、しつこいくらい歌っちゃう。


ありがちだけど、このトバッチリはジイちゃんにいくんだな。

ジイちゃん流行歌なんか知らないから教えガイがあるんだ!


”ジイちゃん違うよ、ルンペンだよ、ルンペン”

”ゴメンよ、ジイちゃん横文字わかんねぇモンだからさぁ”

”ルンペンは横文字じゃないよ、カタカナっ!”

”あいよ、あいよ、分かったよぉ。一から教えてくれよ”

”しょうがないなぁ。たらーっ(汗)たらーっ(汗)






今思うと、ジイちゃん気の毒…。






ジイちゃん子は三文安とはよく言ったモンだよ。

オイラ値下がりまっしぐらだモンな。
posted by ハナユビ at 00:00| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 風景…昭和の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月13日

競争原理のない子

よく、好きな物と嫌いな物、どっちから食べるか?なんて話するじゃない。



オイラは嫌いな物から食べてたんだ。




嫌いな物を平らげれば、美味いもんをゆ〜っくり食うことができるもんな。



でもコレって一人っ子の論理だな。

美味いもんが無くならないのが前提の話。

当然、オイラは一人っ子。




兄弟が多いとサァ、美味いもんから食わないと、

最後に食いっぱぐれる可能性があるもんな。


一人っ子としてはね……、

親の愛情独り占め……、

オヤツ独り占め……、

お年玉独り占め……。




競争原理が働かないから、そりゃぁユッタリ育つわなぁ。

オイラんちは食い物に関してだけは、いい感じでセカセカだったな。



なにせ親父6人兄弟、お袋12人兄弟でサァ、

ジイちゃんバリバリの商人ってことで、

早メシ、早グソ芸のうち!

ときてるもんだからねっ、

チンタラ食ってると無くなっちゃうし、

片付けられちゃう。




お陰様で、兄弟が多いヤツと早食い競争しても、

絶対負けないくらいに育てていただきました。


昨今では、やりたくないことは、やらなくていいとかぁ、

順位をなるべくつけないぃ…、

なんて事になっているらしいね。





大丈夫なのか、はたして?





そう言えば、オイラがガキの頃ってのは、

全ての遊びに競争原理が働いていた。

ベーゴマ、メンコは弱ければ取り上げられる。


取り上げることに出来ないゲームでは、

負ければ×ゲームが待っていたもんだ。


そのお陰で、まぁ知恵を使うようになるよね。

m1.bmp
例えば、メンコなんかは、

負けないために蝋を染み込ませて塗るんだ。

重くなるからね。


でも、均一に塗らないとメンコ下に隙間ができるんだ。

そうすると、薄いメンコに入られちゃう。

だから、戦略が必要になるわけね。

あらゆる遊びが真剣勝負だったな。


飯にしても……、

オヤツにしても……、

遊びにしても……、

勉強にしても・・…、

やっぱり競争って必要じゃないかな。



世の中に出て行くための、ステップとしてもね。
posted by ハナユビ at 00:00| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 場所…遊びの思ひ出昭和篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月12日

変身忍者 嵐を見よう♪

来たね、来たね、来たね〜!変身忍者 嵐!!



オイラ、これ大好きでさぁ。




a1.gif


当時、特撮忍者ものって”変身忍者 嵐””怪傑 ライオン丸”だったんだけど、オイラ断然”嵐”派だな。


大体、江戸時代に”ライオン”なんて単語ね〜よ!!

とか、悪態をついたりして、ガッコで論争してたな。

h1.gif
オイラが圧倒的な嵐ファンだった要因の一つにはさ

”林寛子”


の出演もあったな。




可愛かったんだコレがまた。





あっなったっは〜♪ とくっべつぅな、おっとっこの子ぉ〜♪

わったっしっを〜♪ 自由ぅにできるぅ〜♪






歌ってっ時も、良かったなぁ〜。






途中でレギュラー降りちゃった時には”ウソでしょ?”みたな…ね。

現在については、多くはコメントしないけどねっ


変身の時の特撮もカッコ良かったしな。

”忍法、影写し!”ピカーッ見たいなね。

h2.gif

当時、変身サイボーグ1号ってのが流行っててさ。


まぁ、男の子版リカちゃん人形みたいなモンなんだけどね。


※表現がかなり、いい加減です。イメージは画像参照。


着せ替えには、迷わず”嵐”を選んでたな。

※知らない人は、全くわかんねぇ〜だろうなぁ・・・。


どうも、オイラは総合すると”石の森章太郎”の書いた原作に、

惚れちゃう傾向にあるようだな。


かがや〜く稲妻ぁ〜 とどろ〜く雷鳴ぃ〜

吹けよ嵐ぃ〜 飛べよ嵐ぃ〜
嵐よ叫べぇ〜

変身 変身 影写しぃ〜
正義の忍者ぁ、空駈けケンザンッ

嵐ぃ〜 嵐ぃ〜 我名は嵐ぃ〜
変身忍者 嵐ぃ〜 ケンザンッ



やっぱ、主題かもカッコイイっ!!


いいぞっ、嵐っ。





posted by ハナユビ at 00:00| ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | TV…特撮ヒーロー昭和篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
blogram投票ボタン

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。